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ビリニュス2&3日目(リトアニア)⑥

4月19日同宿

トラカイから宿に戻ってくる頃 雨は本降りになってきた。
米を炊きつつ雨があがるのを待って 昼からビリニュスの旧市街に出かけた。

日曜のミサで混みあっていたので直ぐに教会を出て 街をブラブラと見てまわる。
こじんまりとした街で 教会 門 広場 王宮を見てまわり 路地の雑貨屋や商店に入ったり リトアニア料理のレストランに何やら2.5€の謎の食べ物があるらしいが 店はやってなかった。
エストニアやラトビアと違った趣があり もし旧市街に宿をとっていたら 夜ライブなんか聞きに出かけたかもしれない。

ガイドブック代わりに観光局のサイトを印刷したのを見ている。 情報は少なくその分自分で見て歩いているが それはそれで楽しい。
ガイドブックを持ってきたら もっと行きたいところが増えただろうし 滞在日数に後悔しただろう。 その点についてはバルト三国に共通している。

夕方スーパーに行った。
バカなスペイン人学生が相変わらず騒ぎ 総菜売場の女が威圧的だったくらいで 安くて品ぞろえが充実している大型スーパーだった。

夕食はバジルバター入りチキン(惣菜) グリーンサラダ ビーフステーキ ご飯 味噌汁。 食後にカヌレとコーヒー。 のんびり音楽を聞きながら日記を書いた。



4月20日アデリーナ空港ホテル泊

朝からそわそわしていた。
今朝カウナスに行くので 荷物を預かってくれる様に前もって女主人に伝えてあったが オフィスに来ると言っていた9時を過ぎてもやって来ない。
クリーナーの女に声をかけたら上階にあがって行き チェックインの際フレンドリーだったオージーカップルの男に廊下で会い挨拶したが無視。

嫌な予感はしたが このまま荷物を置いてカウナスに行くことも出来ないし かといって昼まで来るか来ないかわからない女主人を待っていたら カウナスに行って帰ってこれなくなってしまう。
私はダイニングテーブルに鍵を置き 荷物を持って宿を出た。

空港行きのバスは1€。 宿は空港の目の前にあり 明朝5時確実に空港に行ける。 
ホテルに荷物を預け直ぐにカウナスに向かうつもりだったが 今チェックインできるとフロントの男は親切だったのに 既に引落し済み宿代に関しては まだ支払ってもらっていないからチェックアウトまでに調べておけと不親切だった。

何か納得できないのでしばらく粘り 奥から別のスタッフが支払済の書類を持ってきた。
おかげでバスターミナル行きのバスに乗り遅れたが カウナス行きバスの出発が遅れていたので運よく飛び乗った。

夕方カウナスから戻りスーパーで夕食を調達。 部屋は少々古めで広く 離着陸の音が全く聞こえない。 

6日間でバルト三国をまわり 明日はルクセンブルクにエアで向かう。



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ビリニュス旧市街


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ビリニュス3日目(カウナス)⑤リトアニア

4月20日エアポ-トホテル泊

今回の旅の中で触れるなどと考えにも及ばなかったが 最初にひとつ書いておこう。

私は数年前 イスラエル パレスチナ その周辺諸国を旅したことがある。
個人で旅行できる範囲であったにも関わらず 様々な事柄について知り探求するきっかけになった。
とにかくエルサレムでなくても嘆きたくなる所はあるし どこも良い思い出や嫌な出来事はあった。

カウナス行きのバスを見つけ慌てて飛び乗った。
1時間半ほどでカウナスのバス停に着き おしゃべりに夢中なインフォメのおばちゃんに帰りのバスの確認をしておいた。

下調べのメモを頼りに高台の住宅地にやってきて 途中郵便配達の女性に道を尋ねるほど普通の住宅地で 本当にあるのかなぁと少し疑ったが 庭の桜の木と外壁の金色のプレートが見えた。

〝杉原千畝記念館〟

インターフォンを鳴らすと係の男性が出てきた。
入場料を支払い 最初に15分程のビデオを見て 館内の展示や当時の執務室を見るという流れになっている。

すでにビデオ開始5分あたりから泣きそうになってきた。 
2200もの家族にビザが発効された事 杉原千畝にとって壮絶な苦悩と葛藤と決断があった事 次の派遣先に向かう電車でもビザを発効していた事。

ビザによって命が救われた家族のパネルが展示されてあり事の大きさを知った。
私が聞いた無知な質問でさえ係員の男性は聡明な答えで お互い理解できましたねと微笑んでいる。
私も悪い気はしないし 平和とはこんな事なのかもしれない。

執務室に入ると大きな日の丸と机が目に入ってくる。
さすがに戦後70年も経っているから古めかしさはあるけど とにかく状態が良く全てのビザの書類がきちんと保管されているのに驚いた。

募金箱や販売されている記念品の見本があり 少額の募金と記帳をした。
募金や寄付で今でも記念館が運営され 今日も何組かの日本人の名前が記帳してあった。

私は挨拶をし外の桜の木を眺めた。
花こそ咲いてないが よく見ると小さなつぼみから少しピンク色がのぞいていて あと何週間くらいしたら咲くのだろうか。

帰り道ここにユダヤ人達が来たかと思うと 何ともやるせない気持ちになった。 
以前ビザの確認のため何度か移民局に行ったことがあったなと思い出したからかもしれない。

ここはリトアニアなんだ。

私は今年カウナス記念館を訪れてよかったと思う。 
目先の事を都合のいい様に何とでも言えるけど 目の当たりにした現実をどのくらいの覚悟をもって向け合えるのかということが リアルに伝わってきたからだ。
そういった意味でも杉原千畝に追いつき追い越す人が実際いるかどうかということだ。

日本人にとって リトアニアもユダヤ人も身近でないし 日本にいれば今年の干支何だったかなとか 旅行先に何を考慮しようかなといったことくらいなもので 杉原千畝がイスラエルで受賞するまでを辿れば どういうことかがわかった。

大切なのは杉原千畝にとって 一緒にすごした家族 カウナス記念館を支えている人達 最後まで一緒にビザを発効し品々を保管していたリトアニア人の秘書 相談や助言をしたオランダ人 次の派遣先に向かう電車に護衛として乗り込んだユダヤ人達  記念館がある生まれ故郷  イスラエルで功績を称えた人達ではないか。

最後に一つ付加えておこう。
杉原千畝がカウナスで過ごした時代と今とでは全く変わってしまった。 それでも彼が今生きていたならどう過ごすかがわかる。


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カウナス杉原千畝記念館

ビリニュス2日目(トラカイ)④リトアニア

(4月19日続き)

週末の早朝にわざわざ出かける人などいないだろう。
途中地元の人達が乗り降りし終点のトラカイで降りたのは私ともう一人だけだった。

底冷えと小雨のため早々に引上げようという心持ちで湖畔を歩き古城に向かった。
桟橋付の家や時々散歩をしている人や水鳥なんかを見かけ ちょっとした別荘地ではないかと思う。
日曜の朝はこんなものだろう。

古城が開館する1時間も前に着いてしまったが 出店用の小屋で雨宿りする白人女が一人いるだけで レストランや店などは閉まっていた。
これだけ寒いと待つ気にもなれず結局1本前のバスに乗ることにした。

写真を何枚か撮って帰りは行きと違う方の湖畔を歩いた。
それはそれで景色が違ってよかったし 途中道に迷って小高い土手を登り校庭を抜け子供たちが運動している所でおじさんに道を尋ね 出発2分前バスに飛び乗り 帰りのバス代の方が安くレシートもちゃんとくれたので 行きボラれたとわかってどっと疲れがでた。

宿に戻ったのは11時過ぎ。
4/19旧市街4/20ビリニュスについては後日アップします。


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トラカイの古城

ビリニュス1&2日目③〈リトアニア〉

(4月18日続き)

宿の扉は閉まっていた。
何度がドアホンを鳴らしたし携帯電話にも留守電を入れた。 予定時間に到着しているのに人影すら見えない。

今回の旅でbooking.comを利用し始め数日は順調にいっていたが まさかフロントがないタイプの宿だとは考えもしなかった。

ようやく現れたブロンド美人のオーナーと一緒に中に入り フロント代わりのオフィスでチェックインした。
色々親切にしてもらったが 送ったメールも留守電もなかったと言うし 土日は来ないから栞を読んでおいてねといった感じで 念のためチェックアウトする月曜日に荷物を預かってほしいという趣旨の事を言うと二つ返事だったので 何だか心配になった。

大げさなオーストラリア人の若いカップルに出くわし たいそうに軽い方のバックパックを部屋まで運んでくれた。
何だかよくわからないが2泊する。

とにかく部屋はあまりあるほど豪華だった。
ヴォーグリビングに出てくるような感じの部屋で 調度品からリネンにいたるまで質が良い。
ダブルベッドにソファーも2つ 分厚いタオルがタオルウォーマーにたくさんかけてあり キッチンもダイニングテーブルも十分だった。

既に8時前 急いで夕飯の買い出しに出た。
美人オーナー曰く旧市街に出ればスーパーはあるというのに見つけられず バスターミナルまで戻りキヨスクで聞くと上にあると言う。 なんか適当だなぁ。

夕食は豪華にした。
後半のキャンプ用に持ってきた食材を使い切らなければならない。 荷物があまりに重すぎるし3日後のフライトまでに荷物を減らさなければならないからだ。


****

4月19日同宿

あまりの騒音で早朝3時から目が覚めてしまい 思い出したように米を炊き味噌汁に湯を注ぎ食べた。

ビリニュスには3泊する。
1日目はシャウレイとビリニュスに移動 2日目の今日は午前中トラカイ午後ビリニュス旧市街 3日目は午前中カウナス午後エアポートホテルに移動を予定しているが チェックアウト後に荷物を預かってくれるかで予定がかわってくる。

とにかく予定通りに進めたい。 その為にエストニアもラトビアも延泊せずにやってきたのだから。
今朝は冷たい雨が降っている。 朝7時前トラカイ行きのバスに乗るため宿を出た。



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ビリニュスの宿

ビリニュス1日目(シャウレイ)② 

(4月18日つづき)

5日目にして4か国目。 
ミニバスでラトビアのリガを発ち 国境を越えリトアニアに入った。 
バスターミナルで 十字架の丘行バスについて確認し時刻表をもらう。 荷物預かり所のねんきが入った秤に 驚かれながら大荷物を載せ1€払った。

旧式ミニバスが出発するまで 自販機のカップコーヒーとリガ中央市場で買った菓子パンを食べる。
バスが出発し15分ほどすると周りに何もない所で降ろされ 下調べをして大体あたりはつけていても 道を間違えたら行って帰って来るだけでも相当な時間がかかってしまうなぁと思った。

すると農家から女性が出てきた。
頭にほっかむり フレアスカートに前掛け ハイソックスといった格好に ぷっくらしたリンゴホッペで微笑んでいて まるで絵本から飛び出したようだった。
十字架の丘の場所を聞くと お互い言葉はわからないものの指をさし親切に教えてくれた。

途中アジア人の若い男にも聞いてみたが何かよくわからない事になり 十字架などを売っている所とトンネルを抜けると 畑の真ん中に丘が見えた。

シャウレイの十字架の丘だ。

畑と小鳥のさえずりといった牧歌的な風景 通路に沿って無数の十字架や大きな像 讃美歌が聞こえてくる。
通路や階段で時々すれ違うくらいの人達は 途切れなくやってきて会話も少なく巡礼する。

片手サイズの十字架等は手工芸品だろうか。
ここは巡礼地として手工芸品が文化遺産として登録されていて 見た目護摩の様な絵馬的なものかしらと思うような無知な異教徒である私でも 自由に訪れることができるのは この丘が通ってきたプロセスに他ならない。
私は何とも言えない温かみを感じた。

途中修道女のグループと挨拶をし正面に戻ってくると バスに乗るためセットしたアラームが鳴った。
私はものすごく迷った。 
今出発すれば スムーズにバス乗継でビリニュスまで行け 宿の到着予定時間を変更せずに済む。

ところがまだ色々と見れていなし 次のバスに乗り宿に連絡を入れようかと思い始めたところだった。
するとさっきまで晴れていたのに 急に雹がパチパチと音をたてて降り始めあっという間に積もりだした。
茫然としてこんなこともあるのだなと思い バス停に急いだ。

バスターミナルに戻り1.5€のチーズバーガ-セットを注文。 レジの子も馴染みのおじさんも愛想よくポテトもおいしかった。
それから荷物を受け取りビリニュス行きのバス乗り場に行った。

バスドライバ-は違うとしか言わない。
尋ねること4回目くらいで乗客にビリニュス行かと確認してから再度聞くと ちょっと待て....そうだ。 気まぐれなのか適当なのか。 まったく神も仏もあったものではない。 次のバスでもよかったくらいだ。

19時前ようやくビリニュスに到着した。 



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シャウレイの十字架の丘

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