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おきらく48

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5月30日

今、私はオスロにいます。
しばらく平和賞センターについて書いていたので、他国と混同しない様にしなければなりません。

今朝アンダルスネスのユースを出て、鉄道を乗り継いでオスロまできました。
一度、宿にチェックインをしてから、平和賞センターに行き 閉館時間近くまでいました。
この時間帯、観光客が行きそうな施設は閉まっているので、王宮辺りをまわり 夕食をすませてから、宿に戻ることにします。

明日は日曜日なので 市内のミュージアムなどは無料になりますが、夕方には空港ホテルに移動しておきたいので、まぁ半日観光できればいいかなといった感じです。
数日ノルウェーの離島で過ごした後に またオスロ空港に戻ってきますが、市内の方には立ち寄らないので、これでオスロも最後です。
これも一期一会。
旅の楽しみでもあり、延泊して楽しみが増えるとは言い難いものです。

さて、何かしらを見て 記憶が戻ってくるという経験をお持ちではないでしょうか。
何だか青春の甘酸っぱい感じがしそうですが、はっあの時の...みたいな。(キュン。)

乱雑な手書きの日記に、平和賞センターから王宮まで行く道すがら 売店でピザを買ったと書いていたのですが、今ストビューで見ていたら見つけてしまいました。
目はハートハートしませんが、口がハフっハフっとなってしまいました。
どうやら、平和センター⇒ 市庁舎⇒ ピザ(国立劇場公園)⇒ 王宮に行った模様。
道が入り組んでいるのでわかりにくい所ですが、これだと結構早く着いた気がします。

王宮は少し高台にあって、路上脇の藤やライラックなどが咲き 散策するにはちょうどいい季節でした。
少し風邪ぎみの衛兵ともう一人、何分かごとに靴を鳴らして銃を持ちかえるのを見て、中は見られないので そのまま降りてきましたが、多くのアジア団体客や多くの観光客が来ていました。

そこから繁華街につながっているので、週末の夕方で さらに賑わっている様な感じにも思えます。
一人で旅していると、あまりワクワクもしないし 特に買いたいものもないし 混んでいる店にわざわざ行くのも、どうかと思うのです。
何か国でもそうしてきた様に、中央駅構内の安い店を探し 客も疎らな店でピザをまた食べるという。(笑)
「よっしゃ、ジョキ大だ。」と出されたビールで、夕食をしめた。

通りを歩いていると、黒人の女が「テレフォンカードどこで買える?」と聞いてきたので、「宿で聞けば?」と返すと、「受付に誰もいなかったから。」と言って去って行った。
道を訊ねるならまだしも、テレフォンカードって。
私なら、路上で見ず知らずの人に聞くことはしないし、宿にいる人たちに聞くか 安いピザとか売っていそうな売店で聞くと思う。


oslo3.jpg
オスロ市内の公園


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5月30日

その年の受賞者展示の階上に、過去の受賞者の展示がある。
ちょうど階段の所に機械の箱があり 証明写真の要領で撮ってみると、何だかモノクロのボケボケ写真が出てきて プリクラ的なものだと思うが、「貴方も将来ノーベル平和賞とれるかもね。」みたいな文言が書かれてあった。(謎)
しかも数分後に、平和賞受賞者にはなれないと気づかされることになる。

私が知っている過去の受賞者は、ルーサーキング ビリーブラント アウンサンスーチー バラクオバマ アラファト ラビン ネルソンマンデラ ダライラマ ワンガリ 金大中、日本人は佐藤栄作。
児童文庫に並んでいてもおかしくない人々だ。
歴史的にも貴重なので、ウェブサイトなので他の受賞者についても知ってもらいたい。

ひょっとしたら今変わっているかもしれないが、授賞式後の晩さん会が 過去に一度だけ開催されなかった年があり、受賞者のマザーテレサが その費用を恵まれない人々に 役立ててくださいと辞退したそうで、後日カルカタの施設で 少し豪勢な食事が振舞われたと、あいまいに私は記憶している。

突然、後ろから蹴られたので振り返ると、ブロンドのおばさんが ものすごい形相で睨みつけてきた。 
私が「何?」と聞くと、金髪おばさんは見下すように「フランス語ペラペラ」と言ってきて、その雰囲気から(別に。展示見ているだけじゃない。) と見受けたので、フランス人でも日本人でもない受賞者の説明を、ぼーっと見た。

他に受賞者の展示はいくらでもあるのに、よほど私が気に入らないのか いつもそうして排除しているのか知らないが、二人羽織状態で 見ず知らずのフランス人に 怒りを買わなければならないのか。
しかもドイツ人なら「またお前らか。」と思うが(笑)、フランス人って。
その時、私は平和賞受賞なんて無理だと思った。
ただ「何?」と言ったきりで、説明を読んで さっさとその場を立ち去っただけだったからだ。

もし受賞者なら、「あなたフランス人?どうして蹴ってくるのですか?ここが平和賞センターですよ。トリコロールの意味は?フランスの似た様な機関の意義はあるのか?平和を御存じ?」と、この先何十年も問い続けなければならない。

何だかややこしそうなおばさんなので、関わりたくないし まだ行くところもあるので構っていられないが、この終盤での珍事が、今まで思い描いていた私の平和の定義を変えてしまった。

平和とは、本当にギスギスしたものなのだ。

世界広しと言えども、平和 愛 自由などについて 肯定的に捉えている集合体(大雑把)がほとんどで、標語や目標にしたり 一年の抱負 ジェスチャーサインなんかを なんとなく使っている。

実際は、どの立場に立つか 優劣で図られたり 忘れられたりしている現実を、平和だと言っていることもある。
そこで、平和賞受賞者たちは長い年月をかけて声なき声を伝えて、それをノーベル平和賞が埋没しない様に提示し続けているのだ。

ノーベル平和賞について言うと、ストックホルムは 夢があり経済効果もあり 明るい印象だが、オスロは 多くの問題があり解決が困難であり、今回の受賞者は違うが、その国では受賞者を知らないという国もあるのではないかと思う。
現に、アジア人の団体客は全くいなかった。

そんな特性から、ストックホルムだけでいいと思っている人々もいる訳で、(平和を肯定的に受け止めている通念上、)「オスロは必要ないと言われている。」と一般論で言う人々もいるが、それなら別の賞でもいいだろうと思う。

北欧は最北の島まで炭鉱があり、鉱物資源は貴重な収入源だった。
ダイナマイト開発のノーベルさんは、ストックホルムでノーベル賞を受賞した。
その後兵器禁止を訴えた人達が、オスロでノーベル賞を受賞した。
やれストックホルムだ、やれオスロだと言うのは勝手だが、人間を軽く見てはいけないと思う。


peacecentere4.jpg
過去の受賞者

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5月30日

前回のブログで、パキスタンのマララさんの活動について書きました。
10代の少女が学校に行きたいというまっすぐな想いは、多くの人の共感をえた様です。
ところが世の中には学校に行けない子供たちも多くいて、まず本人達が学校を知らないという現実もあります。
今回は、もう一人の受賞者である隣国インドのカイラシュさんの 児童労働に関する活動について、書くことにします。

その前に、児童労働について 私の考えをまとめておこうと思います。
世界中どこでも児童労働はありますし、かつて日本にもありました。
ノーベル平和センターの展示で、児童労働についての説明が多いように感じたのもあって、かなり深刻なイシュ―であることには違いありません。

問題でもある少年兵に、私は出会ったことはありませんが、紛争地近隣で白リン弾痕の少年に出会った事はあります。
途上国の小さな観光地で、多くのバンから外国人の少年少女たちが 乗降している様子を見て、さらに下の途上国がある事に気づきました。

途上国だけではありません。先進国でもレジ打ちをする白人の小学生もいて、児童労働にあたるのかわかりませんが、家庭の事情である事は明らかです。
ビーチや観光地で、パーティにでも行きそうな装いで 物売りをしている子供達の集団は、近所の子供や兄弟などと勝手に思いがちではありますが、ただの同僚かもしれません。
田舎に行けば、家畜の放牧や畑仕事、店番、植物からオイルを抽出する工程などを観光で見たりします。

長々と書きましたが、もっと書き続けると児童労働が いけないものなのかが、わからなくなってきそうです。
私の言いたいことは、そういう事です。

さてインド人のカイラシュさんは、マララさんの様に SNSを通じて主張を訴えている訳ではありません。
ただ児童労働のアジトから 教育も何も知らない子供たちを解放し続ける事を、30年以上続けていたのです。

若くてもおじさんでも、児童労働と教育は大きくリンクしている点と、彼ら自身の生活も脅かされた日々を過ごしている点から言っても、隣国とはいえ互いにシンパシィを感じているのではと思うのです。

ようやくインドに目を向けてみましょう。
パキは行ったことないけど、インド珍道中(笑)を経験したという御同輩も多いのではないでしょうか。
例にもれず、私も1か月半ほどインドを旅しました。

映画「スラムドックミリオネア」や絵本「マッチ売りの少女」などは、児童労働者の立場で描かれているので、とても悲しい気持ちになります。
しかし、インドに滞在してみると 児童労働なくしてインドを旅行することは、ありえないのです。
ここで私の気持ちは、大きくぶれるのです。

もみくちゃになりながら 蒸し風呂の様なファン有の安宿に着くと、すぐにノック音が聞こえ ドアを開けると少年が立っている。「冷たい飲み物買ってきましょうか?」
窓開きの寝台で、全身ほこりまみれになった気で起きた朝、箒で足元を掃いてもらってからのチャイは格別だ。
客引きの横柄なおじさんより 食堂を切り盛りする幼児の方が 手際もいいしボラないから安心する。
観光地で小汚い土産ものを手にする子供たちは、気のない客の見極めも早いので 金融街にでも行けそうだ。

インドの駅で一晩過ごしたり、早朝深夜に行ったりすると、ある意味インドのぬくもりの様なものを感じることができる。
とはいえ保守的な国であったりして、社会的身分の低い層 中には外国人でないのに国民でもない人達もいるかもしれない。
通りやマンホールなどに寝泊まりするよりも、似た様な境遇の子供達と 人間の最低限度の生活さえあれば、生きていけると信じているだろう。

旅で出会った子供達に 疑いもなしに用事を頼み、就業以外の時 私はただ子供らしい無邪気なところを見たかったのに 意図しない彼らの冷酷な態度に驚いたりした、私自身の無知を恥じ そんな現実に虚無感を覚える。

だから、カイラシュさんはすばらしい人物なのです。
子供らしい生活とは何か、彼らの全てだと信じていた児童労働のアジトから 彼らが救出された時の不安げな表情を見て、私は泣いた。

peacesentre32 (2)


peacesentre32 (1)
子供らしく。(女子もいます。)

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5月30日

ノーベル賞には、研究、活動、思想などが含まれているので幅広いと思う。
研究奨励賞を目指したいなら他にもたくさんあるだろうし、私も入場料を支払ってまで行ってないだろう。
どういう人なのだろうかという好奇心から その人物に目を向けると共に、自らのバックグラウンドについても、考えなければならなかった。

そんな訳で、私はちょっとした抵抗感があった。
これはマララさんには絶対内緒なのだが、私は学校が嫌いで 今でもいい気分がしない。
卒業してからも、少し克服しようと数多くの習い物にお金を費やしてきたが、充実して終われたことが一度もなかった。
この年齢になって無駄な事はやめようと思い、ラジオ学習やWEBなどのドキュメンタリー、一人旅の方が続いているし、そこから多くのことを学んだ。

また旅先で訪れた小学校で少額の寄付をしたり、仲良くなった先生達ともメール交換したりして、帰国後子供たちに鉛筆を送りたいので住所を是非教えてくれと連絡取ってみたが、住所どころか連絡も一切なく、その後自分で鉛筆を消費しても 使える目途もないし場所も取るから、箱ごと捨てた。

ここセンターで彼女の展示を食い入るように見ている人全員が、ひとつずつを落とし込む様に 真摯に向き合っている様に見える。
私一人だけが(えぇマジ無理。引く~。)と小声で思う事すら、ばれたくないほどだ。

このブログを書くので、彼女のスピーチを読み返したが とても素晴らしいものだった。
彼女は優秀で今は名門大学に進学し、今後も活動を続けながら理想を実現しようと探求するだろう。
推しマララは、整った学習環境で育ったIQの高いエリート層も多く 博識なエッセイを数多く読むこともでき、未だ理想も現実もない人々にとって、彼女は将来良き理解者となって世に出るだろう。
最近になって少しずつ援助の輪が広がっている様で、マララさんの出現は大変意義深いものがあるようだ。
出来れば、私はそちらの方を見て頂きたいと思う。
そして、ここからは読まなくても結構ですと、前置きしておきましょう。

パキスタンには一度も訪れた事がないが、元からあまり良い印象がなかった。
マララさんの話の中にも別の名称で出てくるが、随分昔から山賊が出る無政府地帯があるとバックパッカーには有名な話があり、〝深夜特急〟の沢木もルート変更でキレている。
他にも色々あり、男女問わず身構える国だと知った。

その後、旅先でPIAの格安チケットが出ているというので ちょっと行ってみようかなと、現地のパキ大使館にビザを取りに出向いた。
乱雑に積み重ねられた資料がある偉い人の部屋の様な所に通され、1~2週間でとれるはずなのに、1ヶ月以上かかるから 日本で取った方が早いといった感じの話を、人が入替わり立代わりして 結局ビザの許可は下りなかった。
初めて出会ったパキスタン人は、拍子抜けするほど のんびりした人達だった。

都市部や別の地域に行けば こういった悩みもいくらか解消されると思うが、マララさんの主張が通ることは、まず無いだろうなと思う。

世界中の人々とSNSを通してのメッセージのやりとりについては、日本でも取り上げたりして、今の若い世代だなと実感する。
ところがセンターに掛けられている多くの写真は、決して恵まれない環境下でも学びたいと体現したもの☆写真 ライフル銃の護衛に守られながら、ほぼ男子校で演説する姿 家族の絆など、とてもハートフルなものが多かった。
そして彼女の出で立ちをみれば、信仰はパキスタンにあることがわかる。

彼女の展示物で一番訴えかけてくるものがあった。
それは銃撃されていた時に着ていた制服で、まるで私はサバイバーだ。恐くないと言っている様だった。
彼女の記憶は鮮明なのに、私は目の前の制服を見ても鮮血すら想像できず、悲しいくらい距離感があった。

私は、マララさんの主張を否定しているのではない。
結果として私は学校が嫌だと言っているだけで、学校を知らない子供たちがいるなら 行ってみて 好きでも嫌いでもなったらいいと思う。
自分の名前が書けないで困っている子や 市場に作物を売りに行っても 数が分からず騙されている子がいたら、かわいそうだと思う。
学校にいけない小さい子にとっての家庭学習は、もっとハードルをあげてしまう可能性もある。

例えば、学校に行こうと呼びかけられても 生返事しかできない子でも、女子のパジャマパーティーだったらどうだろうか。(窮屈でないから。)
畑や店番も終え 下の子達も寝かしつけて ちょっとした食事もでるなら、お願いしやすいし あがるかもしれない。
シェルターみたいだなんて、言わせない。

malala1.jpg malala2.jpg
マララさんの原点

5月30日

折角だし、入る前にピースサインで1枚記念写真取ってよかったかも。
私は一人だったので撮っていなかったし、誰しもおしとやかになって出てくることを考えれば、そう思う。
言わずとも、ここノーベル賞平和センターほど うってつけの場所は無いのではと思う。

ノーベル賞はたくさんあるが、ここノルウェー(オスロ)は平和賞のみで、あとは隣国スウェーデン(ストックホルム)で行われる。
日本人にとっては、ストックホルムの方が馴染み深いと思うが、最近オスロでも日本人が受賞している。

私が訪れた前年の受賞者は、パキスタンのマララユスフザイさんとインドのカイラシュサティさんの二人だった。
その為センターでは 二人の功績を一年間展示し、それ以外にも過去の受賞者の常設がある。ミュージアムとしては珍しい一点豪華風だ。

私の考えとしては、彼ら自身について知ることが一番大切だと最初に思った。
なぜなら様々な事柄に関しては 既に平和賞が調べ上げ、私たちに一種の提案として ストレートに投げかけてきたのだからだ。
この点に関しては、ノーベル賞のコアな部分でもあり、ノルウェーがいかに積極的平和主義であるかを示している。 日本ではあまり報道されていないが、もぉなんかなんか、なのだ。

インドとパキスタン。女子教育と児童労働。10代少女とおじさん。
とても対照的な二人だなと最初溜息しか出なかったが、展示を見ていくほどに不思議と考えがまとまっていった。
誤解がない様に付け加えておくと、私の考えがまとまっていったというだけで、誘導的な展示でもなかったし 受賞者本人達から提供された品々が展示されている。

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ピースピースっ!
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